人を愛するということ
私は父親から、溺愛まではいきませんが
可愛がられていました。でも誉められるのは成績が上がったり、父親の望むものを私ができたときだけです。今思うと条件付きの愛ですね。
それなので、父が喜ぶようなことを、いつもアピールして頑張ってました。私が逆らうようなことを、すると手を上げるような父でしたので、成人してからは家を出て一人で暮らしました。母は夫には絶対に逆らわず(昔の人間ですね。)それでも、子どもの私たちには
「お父さんは、子どもに愛情がありすぎて、ついカッとなることもあるけどむしろ正直なひとだから。」
と子どもの私には、よくわからないようなことをずっと言ってました。父が死んだ今も、母は父のことが好きらしいです。
夫婦の事は、その夫婦にしかわからないのですね。
私は結婚してから、我慢もほとんどせず、やりたいように生きてきました。世間の常識からすれば、(自由な妻であり)(ワガママな嫁)です。
夫は、そう思うとこどもにも、私にも
条件付きの何かを示したことがありません。
私が、やることなすことを格段、褒めたりもけなしたりも、怒ったりもせず、一緒に生活していた頃は、それが物足りなくもあり、
「もっと誉めてほしい」と思っていました。私に関心がないのかな?と寂しくも感じていました。
夫を見ると
無条件に愛する人なんだなとつい最近では実感します。
私は、まだまだです。
本能のままに生きているような私ですが、ジェリーフィッシュと一緒になった時、いつも変わらず彼を愛することが出来るように、たくさんの案件をこなしているところです。(笑)
これで、私があきらめるようであれば、
それだけだったんでしょう。
人にはいろんなことがおきます。
その時に、イヤになって、逃げたり去ったり
他の人に依存したりしないよう、それでも
(愛せるのか??)
を毎日、毎日見せられています。
長い時間かかるのは当然ですね。
パッと逢ってすぐに愛して、すぐに一緒になることもありますが、むしろ、このあとの人生の覚悟をどこまでも試されているようです。
そう思うと、ジェリーフィッシュも
たくさん考えて、たくさん悩んでいる。
気持ちは、言葉には表さないけど
私を遠くにいかせないくらいの、ハートに繋がったテープのように、ちょっと引っ張ったり、緩めたりして、切れないような力加減で?
愛されている気がします。
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